記念碑公園全景
記念碑公園祝賀会
多くの区民が完成を祝った
横田夫妻
除幕式に参加された元最高裁長官横田正俊夫妻
佐久間象山像
真田宝物館象山記念館の佐久間象山像
竣工式
除幕式神事
大砲弾
大砲弾 埴科縣神社蔵

下記の詩は、嘉永4年(1851年)に、生萱唐崎山の中腹から大砲の試射をしたときに詠んだ。

春(しゅん)野(や) 晴(はれ)に乗(じょう)じて 大砲(たいほう)を演(えん)ず 四(し)林(りん)の桃(とう)杏(きょう) 正(まさ)に芳菲(ほうひ)なり
一声(いっせい)の霹靂(へきれき)  天地(てんち)を震(ふる)わし 万樹(ばんじゅ)の落花(らっか) 繚乱(りょうらん)として飛(と)ぶ

上記の詩の訳

春の晴れた日に、大砲の試射をした。周囲の山には、桃と杏の花が満開でいい香りがする。
大砲を打ったその音が大きな音で、天と地が震えた。桃や杏の咲いた花が乱れ飛ぶ程だった。

象山が大砲を試射した時に詠んだ上記の詩の碑がある公園(本誓寺橋のたもと)として整備された。
昭和50年に埴科土地改良区によって、近隣の農地整備事業で余剰地が発生した箇所に集積した場所を公園にした。象山が、生萱の地から西の方角(一重山方面)に向けて大砲の試射をした事から詩碑を建立して後世に伝えることとした。
公園の建設資金は、地主の寄付を仰ぎ実現した。現在も、詩碑保存会を設けて、保存活動を行っている。

実際の試射は唐崎山の中腹、立石(宮崎)という場所であったと言われている。
又、試射された砲弾は、一重山を越えて満照寺の庭へ転げ落ち、当時大事件となったが、象山は「国を守る為にした事が何故悪い」と、逆に役人に気合をかけたという。

試射に使用した実弾は、現在も埴科縣神社に保存されている。地図