令和元年 現在御神事を執行しているのは、雨宮日吉神社が3年に一度、国の重要無形文化財の指定を受けているため実施している。
御神事発祥の歴史は、正確には判らないが、遠く奈良時代に遡ると言われている。
五穀豊穣・天下泰平などを祈願し、当時は 雨宮・森・倉科・土口・矢代 など近隣の村の合同祭として行われていた。
神踊りの役割は大行司・獅子・御鍬・拍子・笛・太鼓・夜警護員など手代りを含め総勢35役204名で地域内の神社・寺院・在家など32ヶ所で神踊りを執行し、夜本社に帰り夜宮の神踊りを行い解散した。明治4年(1871年)の役割帳によれば各村に役割を配分し、当生萱は獅子6人・中踊1人・歌揚10人・鳥居前警備2人、因みに獅子4頭の内最上位の宝珠獅子や、その他重要な役割を担っていた。明治4年廃藩置県により松代藩からの祭事料が廃止され、松代城下へのお神輿・渡御も廃止された。
江戸時代以来続いた合同の御神事は、森の禅透院の火災により明治21年(1888年)に中断された。明治22年3地区合併で雨宮縣村となり、土口・生萱の名前が消え村長・助役などに案配する様申し入れたが却下され、雨宮地区が独占した結果対立し、御神事も3地区共催から分離し、雨宮地区のみで実施となった。
埴科縣神社所蔵文書によれば、明治33年(1900年)神事寄付人帳・34~35年蚕神踊り・41年踊庭帳/執行規約・44年諸頭當選者人名帳等記録あり、大正13年(1924年)獅子張費用・14~15年神事行列帳、昭和3~4年世話人帳・5・9・10・11・24・27・28・29・30年神事行列帳・13年神事差出帳・25年諸頭推薦覚帳などの記録はあるが、御神事を実施しなかった年もあった。又、明治42年には生萱地区内4つの神社を合併し、埴科縣神社を創建し『神事祭執行規約』がつくられた。
昭和30年4月18日の御神事執行を最後に以後行われていない。
【参考文献 雨宮県村誌・雨宮日吉神社御神事民族文化財調査報告】
埴科縣神社に残る御神事関係道具
現在御神事関係の道具は、埴科縣神社の宝蔵に収められている。その内6大臣の御面や獅子頭には、寄付者の名前や寄付の年が記されているものがあるが、その寄付の年をみると明治33年が一番古く、数も多い。神社に残された御神事関連の書類で確認したところ、この年に道具が一斉に作られ、翌年から生萱地区での御神事が始まったことを示していると考えられる。また、獅子頭には奉納者の名だけで寄付年は記されていないが、寄付者の名が明治33年の「神事寄附人名簿」に見られる獅子地板の寄付者と一致するので、これも明治33年に作られたものであることがわかる。
















雨宮の御神事



御神事踊りの獅子




埴科縣神社境内での奉納の踊り 年代は不明


宝蔵に収納している祭具をみてみました。
かつて生萱のご神事で使用された多くの祭具は現在境内の宝蔵に収納されています。2024年7月物品すべてを広げてみました。





