戌の満水

いぬのまんすい
寛保2年(1742年)8月1日・2日に大洪水が起こりました。戌年だったので、戌の満水と呼ばれています。7月27日から降り出した雨は、ほとんど止むことなく8月1日まで降り続きました。そのため、千曲川とその支流は大洪水となり、山崩れなどもひきおこし、歴史に残る最大の洪水です。(長野史料より)
小布施町にある洪水水位標。千曲川からの水位が約6.9mの地面に立っている水位標で、一番上が寛保2年の氾濫水位10.9mを示しています。

(2)明治43年8月(1910年)大量の降雨により、千曲川・他河川が氾濫し全壊259戸、浸水2800戸であった。当地では、土口地区の高い石垣の家が急増した。土口の親水公園の水深標で、その水位が分かります。 (右写真参照、撮影:島田武久氏)
(3)昭和56年8月に、台風10号と梅雨が重なり7月31日~8月2日早朝までの降雨で増水し土口水門を閉鎖したところ、流木により完全閉鎖にならず千曲川から逆流し若草、妻女台両団地で二階近くまで浸水害となりました。
当生萱地区の記録として残っているものはなく言い伝えで聞いた事として
- 大阪の地から文殊菩薩を遷座した長坂地籍東側の山が崩落した為、文殊菩薩を現在の縣神社参道東の仮堂に安置した。
- 石原地区山林(松林)が、土砂崩壊し縣神社南150mの地籍まで松の木ごとおしながされて、松の木がそのまま林となり、その地区を松林と呼ぶようになった。
近年の災害としては
- 平成11年8月には、熱帯性低気圧による多量の雨で千曲川が増水し、宮崎地区で工事中の沢山川堤防から溢水、床上浸水被害が発生した。
- 平成18年7月の豪雨で沢山川が増水した時の写真ですが、生萱地区の被害はありませんでした。
以下はこのときの様子です。




令和元年10月の水害
令和元年10月に、台風19号による多量の雨で千曲川が増水し、支流の沢山川及びその支流の
湯沢川が溢水、宮崎地区(14戸)と本生萱地区(5戸)で床下浸水・床上浸水被害が発生した。
又、溢水により生萱地区の田畑が、一面湖のような状態となりました。
生萱地区の災害としては、もっとも記憶に新しい出来事となりました。



